自由の多様性

選択の自由、それは私が考える自由です。

前までは、働くという自由に縛られていた気がしました。

知り合いに、有名大学を卒業したのに会社を辞めてから1年ほど働いていない人がいます、少し家事を手伝ってくれる程度だと、この人の親が嘆いていました。

前までは「ちゃんとした会社で働く=私が理想の自由でした。

だから、この人はすごくもったいないなと私は思っていたのです。

しかし、最近この人と話をして、何故働かないのか聞いてみました。

少し悪いような気もして、あまり深く入り込んではいけないような気もしましたが、好奇心で聞いてみました。

この知人のご両親も困っていたので、聞いてみてくれと言われたというのもありますね。

それで連れ出して車の中で話をしました。

自分は天才ではないので、学生時代は殆ど勉強していた記憶しかなく、一日の殆どを必死こいて勉強の時間に費やしたそうです、確かに昔からの知り合いですが、いつも勉強していたような記憶しかないです。

でも結果を出していましたし、そんなエリート街道まっしぐらだった彼が、会社を辞めた理由は、社会にでても、いつまでたっても競争競争で疲れた。とのことでした。

本当の天才、才能をもつ人はいるらしくて、自分の半分の努力で結果を出す姿に心折れて、一生こんな人生なのか悩んだ挙句、新しく何かしたいと、今ネットを使って取り組んでいるそうです。

両親からしたら、部屋に閉じこもり、無気力で何もしてないように感じたかもしれませんが、ちゃんとした考えを持ち、実行していました。

私とはまるで逆のスタイルですがそんなライフスタイルもありだと、自由の定義は人それぞれ違うのだと知りました。